雨戸

生まれてから大学卒業までは、主な窓に引き戸式の雨戸が取り付けられた家に住んでいた。「となりのトトロ」の草壁家や「サザエさん」の磯野家にあるようなものである。私の場合、それらのような木製ではなく金属製ではあったけど。

 

他の家の雨戸なんて気にすることが無かったので、どこの家にもあるものだろうと思っていただけに、就職を機に一人暮らしをするにあたりいくつか物件を見て回ったとき、初めてシャッター式の雨戸というものを目にして私はとても驚いた。シャッターは倉庫や店舗、あるとしてもカーポートといった、少なくとも住居以外に設置されているものだと思い込んでいたからだ。
と言いつつ結局住むことにしたのは、そもそも雨戸の無いアパートであった。

 

それだけが唯一の理由ではないけど、シャッター式の雨戸というものに抵抗を覚えたからその物件を躊躇した、というのはある。開け閉めをする方向が水平方向から垂直方向に変わっただけなのに、屋外とのかかわりを一切断ち切ってしまうかのような感覚がしたからだ。あと、閉めてしまうと朝になって外が明るくなっても気が付かない…のは引き戸式でも変わらないか。

 

ちょっと冗談めかした最後の理由、個人的には地味に重要だったりする。朝にめちゃくちゃ弱いからである。
普段から休みの日には日が高くなってもなお惰眠を貪って半日を潰してしまいがちだし、以前やむを得ない理由で夜明け前に起きて出かけなければならなかったときには、アラームを鳴らしても部屋が暗いと身体はしばらく強張ったままだったし、気分的にも「何でこんな暗い時間帯から起きて行動しなきゃいけないんだよ…」と要らぬ苛立ちを感じてしまう。

雨戸を閉めていると視覚的にはずっと夜のままのような状態なので、毎朝出勤のために起きなければいけない時間になるたびにそんな思いをするなんて御免である。
その点では、雨戸が無い部屋というのは、遮光カーテンを開けたままにしておけば朝には自動で部屋が明るくなるので、多少は起床後の行動がしやすくなるメリットがある。

 

と、雨戸に対する若干の不満を表明はしたが、実際のところ住む場所には雨戸はあってほしいと思っている。

まずは何といっても「慣れ」。生まれ育ってからの20年ちょっとを雨戸つきの家に住んでいて、家に雨戸は当然あるものという価値観が染みついてしまっている。今の雨戸無しの住まい暮らしがあと何年か続けば、このあたりは変わってくるかもしれない。

あとは「安心感」。防犯とか災害から住居内を守れるという点では、無いよりあった方が物理的にも心地的にもいいに違いない。
それを強く感じたのは、令和になって最初の年の秋に襲来した暴風雨の時。大概の場合、天気が荒れるという予報が出ていても「まぁ今回も肩透かしだろうな」と内心高をくくってしまっていたけど、その時ばかりは天気予報を見ていてあまり勢力を落とさずにやってくるようだったので、生まれて初めて暴風雨対策として家にあった段ボール箱を切り開いて窓ガラスに張りつけた。
そのおかげかヒビ1つ入ることなく済んだが、窓ガラスと荒れる外界とが直接対峙するというのは不安が大きいな、と思った。

 

技術進歩が進む昨今、タイマーを設定しておけば自動で開くカーテンがあるそうなので、私に限らず、朝に弱い人たちのためにも、雨戸だってそういうものがあってほしい。それか、強度そのままに透明な雨戸なんて出来ないものかしら。