651系定期運行終了に寄せて

※この記事は、ある程度鉄道に関する知識を持っていることを前提に書いています。
また、ひたすらに自分自身の思い出話が続きます。読み続けるにあたってはその点をご了承ください。

去る3月18日。何の変哲もない土曜日のようだが、ある人々にとっては胸が踊ったり、または逆にうら寂しい気持ちになったりと様々な感情を抱いた一日だったに違いなかっただろう。

この日は、JR各社を始め日本全国の多くの鉄道会社で運行ダイヤが変わる、いわゆる「ダイヤ改正」の日であった。年に一度、3月の中頃の土曜日に設定されるのが慣例となっている。当日はテレビなどのニュースでもその様子が取り上げられたので、そういう出来事があったということだけは知っているという人は多いのではないか。

今年も各社で特筆される変更点が数々あったが、個人的に気になった話題の1つが、タイトルにもある通り「651系の定期運行終了」である。

 

651系がどんな車両かはwikipediaなり何なり調べればいくらでも出てくるのでここでは省略する。

直近は高崎線系統で第二の人生(車生?)を過ごしていた651系だが、多くの人にとってはそれより前に常磐線特急「スーパーひたち」として日々走り回っていた姿が記憶に残っているのではないだろうか。
私も、幼い頃に子供向け図鑑で見たその姿の虜になった1人だ。多分生まれて初めて「カッコいい」と思った車両ではないかと思う。

 

残念なことに、当時は全くと言っていいほど常磐線には縁が無く、乗車するどころか見る機会すら無かった。
一度だけ、家族旅行で仙台に行った時にスーパーひたちに乗っていったことがあるようだ。断定的な言い方でないのは、その時の記憶が全く無いからだ。具体的な時期が思い出せないくらい幼い頃の話だから、というのもあるのだが、親が撮ったであろう、車内で嬉しそうな顔をしているカメラ目線の私の写真だけが、「651系に乗った」という、実感を伴わない、いわば骨組みだけ残ってしまった記憶の頼りだ。

 

2018年、臨時列車用として残っていた0番代が引退する少し前に収めた1枚。

 

そのうち、興味は他の車両に移ってしまい、651系への注目はすっかり薄れてしまった。

それから10年以上経った頃、651系常磐線特急としての役目を終え、それまで185系が担っていた高崎線系統の特急に充当されることを知った。

常磐線と違い、高崎線は幼いころから馴染みのある路線である。そこに651系がやってくると聞いた私は、まるで恋い焦がれていた相手に会えるかのような感情の昂りを覚えた。

 

高崎線にやってきた651系は、常磐線にいた頃と違ってラインカラーのオレンジの細い帯が客室窓の下に追加された。タキシードボディとも称された真っ白な車体ではなくなってしまったが、むしろそれこそが高崎線を走る列車の仲間入りを果たしたことの証にも見えて、個人的には好印象だった。

 

1000番代として高崎線にやってきた651系の姿

 

しかし、良いことばかりではなかった。

走り始めた当初はスーパーひたちと同じく11両編成での運行もあったが、いつの間にか全列車が7両編成に短縮され、運転本数や区間も徐々に縮小。その中で段々と停車駅も増え、平日夕ラッシュに走っている「スワローあかぎ」に至っては、快速と同じかそれよりも多くの駅に停まる有様。通勤利用を当て込んでいる列車の性質上仕方ない面もあるとはいえ、永い間常磐線を最高時速130kmで行き交っていた頃には想像できなかった姿であった。

加えて特にここ数年、長年走り続けてきたことによる老朽化が目に見えて進み、車体に凸凹が出来たり外装の一部がはがれて錆まみれの内側が露わになってしまった車体は、見るに堪えないものだった。

 

その頃から、次代の車両への置き換えも遠くないと思うようになり、近くを走っているからいつでも見られると蔑ろにして、たまにタイミングが合って見かけた時に軽く記録する程度だったのを、意識して数を多く、かつ出来るだけ651系が元来持っていたであろう魅力が感じられるような形で記録に残そうと気持ちを改めた。

 

そして昨年12月に発表された今回のダイヤ改正のプレスリリースを見て、ついにこの時が来たかと思った。想像はしていたが、実際にその時がやってくるとなかなか冷静には受け止めきれなかった。もしかしたら、定期運行はしなくとも臨時列車として少しの間は走り続けるのではないか。しかしその想像が外れたら、もう二度と651系に乗ることも、見ることも出来なくなってしまう。後悔してもしきれないに違いない。

半ば焦りに駆られた私は、それまでの重い腰を上げて651系に乗りに行くことを決めた。

 

選んだのは年明け某日の上りの特急「草津」。せっかく乗るのであれば始発から乗るべきなのだろうが、現実は色々とそうもいかず、途中駅の渋川から乗車した。
草津には自由席も設定されているが、きっと私と同じく最後に乗り納めをしておこうという人が多くいるだろうと踏み、確実に座れるよう指定席を確保した。実際の自由席の様子がどうだったかは分からないが、私が乗車した車両はほぼすべての席が埋まっていた。見た限りでは、客層もいわゆる「鉄ちゃん」よりかは家族連れやグループ旅行の客が多かった。仕事始めが近づいてきて、沿線の温泉地で年末年始の休みを過ごした人々が帰るタイミングだったのだろう。

 

一度リニューアルされたとはいえ、車内の様子には年季を感じた。いやいや、中がくたびれていても走りが元気ならば問題ない!と思っていたが…

 

やっぱり遅い!物足りない!

 

本当はスピードを出しているのかもしれないが、通勤電車に比べて客室内の静粛性が高いせいか、どうも流して走っているように感じてしまう。

まぁ、不満を垂れても仕方ない。常磐線にいたころと違って競合する相手もいない*1し、情緒的なことを言えば、ひたすら全力で走り回っていた常磐線を離れての余生をのんびり過ごしていると考えれば無理をしない走りでもいいのかもしれない。それだけ長く乗車できるともいえるし。

 

このときの乗車は1時間強。乗り慣れていない車両だったのとやや混みあっていたのと、これでおそらく最後だからと出来る限りその場の空気感を吸収していこうと構えてしまっていたのとで、せっかく機会を作って乗りに行ったというのにどうにもフワフワと落ち着かない気分だった。短区間であってももっと乗っておくんだったと少し後悔している。

とはいえ、長年骨組みしか存在していなかった「651系に乗った」という記憶にようやく肉が付いた、と感じられてよかったし、決して無駄足ではなかったと思っている。

 

ちなみに、残された期間的にもこの時が実質最初で最後の乗車体験になるだろうと思っていたのだが、やりくりをつけた結果、このおよそ1か月後にもう一回乗りに行くことができた。今度は下り列車を熊谷までという、前回よりもさらに短い時間ではあったが、日曜の午後発という比較的ニーズの少ない時間帯にもかかわらず、満員ではないものの座席はそこそこ埋まっており、列車自体の行く末は悪いものではなさそうだと思えたのは一安心した。

 

ダイヤ改正により、高崎線を走る特急列車は651系からE257系5500番代にバトンタッチしたし、運行体系にも少し変化が生じた。
そちらはまた追々記録していくから良いとして、引退した651系は早くも廃車を前提に回送された編成もある一方で、E257系は予備の車両が少ないようで、先に書いたように臨時列車のために残すことはあるかもしれない*2が、それでも全部を残す必要性はない。

まだ少し気を揉み続けなければならなさそうだが、機会が残っている限り、その姿を追っていきたい。

日常的に新宿に乗り入れていたということもまた、忘れてはいけない。

*1:強いて言うなら新幹線かもしれないが、同じ会社だしスピードが段違いなので直接の競合関係とは言えないと思う。高速バスとは競合しているのかもしれないが、その関係は全く分からないのでここでの言及はしない。

*2:記事執筆時点で発表されている臨時列車の運行予定には、651系を使用する列車は存在しない。